能登半島地震災害ボランティアに参加してきました
2024年8月3日(土)、8月4日(日)と能登半島地震災害ボランティアに参加してきました。2024年1月1日に「能登半島地震」が起き、すぐに手伝いに駆けつけたいと思っておりましたが、人命救助や救援物資の運搬が最優先されたため石川県よりボランティアを受け入れが認められず、受け入れがOKとなったのは同年5月5日からでした。地震より7ヶ月経った今、やっと行くことができました。
能登半島地震
2024年1月1日に発生した能登半島地震は、石川県能登地方を震源とする地震で、マグニチュードは6.5、最大震度6強を記録しました。
ボランティア活動は2日間
8月2日(金)夜に金沢入りし、8月3日(土)、8月4日(日)の2日間ボランティア活動に従事しました。
1日目は輪島町へ
本日は、輪島市で活動しました。金沢駅西口 6時35分発のボランティアバスに15名の皆さんとマイクロバスに乗って輪島市に向かいます。のと里山海道をずっと北上していきます。北上するにつれ「段差注意」の看板が目立ち始めます。そうです、震災により道路に段差が出来ているのです。また亀裂が入っている箇所も散見されます。そこを通る度にバスは減速し、または上下に跳ねることになりました。途中西山PAでトイレ休憩をしました。
倒壊家屋
輪島市に入ると、倒壊した家屋を多く目にするようになりました。震災の大きさと震災から7ヶ月経っても倒壊した建物はそのまま残されているのです。まだ復興が進んでないことを示しています。
そして仮設住宅も多く目にするようになりました。
活動内容(1日目)
輪島市災害ボランティアセンターに到着後、チーム分けをしました。ボランティアセンターに寄せられた住民の方々の要望を輪島市社会福祉協議会(社協)が仕事内容をまとめボランティアに振り分けます。今回、私はAグループ(5人編成)に振り分けられ、被災された方の倒れた家具の搬出を承ることになりました。本日の輪島市の気温は警戒アラート予想が出ており、どんどん気温が上昇してきます。そのような炎天下の中で活動しました。
倒れた家具が散乱
担当するKさんの自宅へ到着後、奥様が対応してくれました。玄関も震災の影響で曲がってしまってぐっと力を入れて押さえないと開きません。やっと開いた玄関から中に入ると荷物が散乱していました。
5人のチームで震災で倒れた家具の中に服や着物などが入ったものの片付け、使えなくなった家具の搬出。使える家具は仮住まいの場所へ移動させる仕事でした。移動は軽トラを利用して運びました。気温34℃の中、室内はもっと気温が上昇していると思います。汗が止まりません。熱中症に注意して水分補給をしながら活動を続けました。
輪島朝市(震災後)
活動しているKさんのご自宅から車で4分ぐらいのところに輪島朝市があります。休憩時間に訪れました。輪島朝市には今まで添乗で何度行ったことでしょう。20回近くは訪れていると思います。
輪島朝市は、石川県輪島市で開催される日本有数の歴史を持つ朝市で、平安時代から続くとされています。毎日朝8時から正午まで開催され、約350メートルの通りに約200の露店が並びます。地元で採れた新鮮な海産物や野菜、特産品の輪島塗など、多彩な商品が並び、多くの観光客や地元の人々で賑わいます。市民と訪問者の交流の場として親しまれ、輪島市の伝統と文化を感じられる観光名所です。
報道されているように、今回の能登半島地震で火災が発生し、全焼してしまいました。その場所へ行き、実際に目にしたら声が出ませんでした。あの賑やかだった光景がなく、あるのは焼けた車、焼けた建物でした。
徐々に解体が進んでいるとは思いますが、更地になっているわけではなく焼けた建物そのままなのです。しかし何年経つかは分かりませんが、輪島の朝市は必ず復興すると信じております。
昼ご飯を挟んで午後も活動は続きます。Kさんのご自宅前には搬出した家具がいっぱい積まれました。輪島市は廃棄物を取りに来る業者さんがいらっしゃいます。荷物に黒いマジックで「災」と書いて出すと引き取ってくれるます。こうして1日目の輪島市での活動は終了しました。
宿泊場所に戻ると活動時の暑さと疲れでぐったりとなってしまいました。2日目の活動に向けて早く就寝しました。
2日目は能登町(内浦)で活動
2日目の8月4日(日)は、AM5時50分に金沢駅西口からマイクロバスに乗って「能登町(内浦)」へ向かいました。ここへも途中、PAでトイレ休憩を挟み、能登町(内浦)へ向かいました。
活動内容(2日目)
本日のミッションも昨日と同様にご自宅の家財道具の運び出しでした。能登町ボランティアセンターのホワイトボードには住民の方の依頼事項が記載されており、それとボランティアをマッシングさせて仕事内容が記載されていました。
私のチームは、「Tさんのご自宅を午前中は、屋内の棚、サイドボード、家具類の破棄、そして午後からは、玄関前にある棚、本箱の破棄」がミッションとなります。能登町は、それを軽トラに積み込み、災害置き場へ持っていきます。災害置き場は、藤浪運動公園です。Tさんのご自宅からそこまでは片道20分の距離です。今日も昨日と同様に5人で1チームを組み、軽トラ3台に荷物を積み込み運びました。運んだ回数は2回でした。
気づき
今回は、2日間という短い間でのボランティア活動でしたが、いろいろな気づきがありました。1日目の輪島市でのボランティアでは一緒に活動した3名が東京からお見えになられた方々でした。そしてなんと私と同じ旅行業に従事されている方でした。能登を想い、少しでも力になればと行動を起こされている仲間(しかも同業者の先輩方)がいることが本当に嬉しかったです。
2日目の能登町での活動メンバーのリーダーのNさんは東京から来ており、8月2日から8月19日まで日本航空学園のベースキャンプに宿泊され活動をしていると言うのです。会社を自分で経営されている方でしたが17日間ボランティアをし続ける人に初めてお目に掛かりました。ただただ頭が下がる想いです。同じくご一緒に活動した女性のYさんもボランティアに来ている回数がよくわかりませんとおっしゃっていました。分からなくなるぐらい活動されているですよね。もうアングリです・・。すごいな。
私は、今回次男(21歳)と一緒に活動しました。7月始めにボランティアに行くかと聞いたら即答で行くと言ったので連れてきました。どうしよう?と一瞬でも迷ったら連れてきてませんでした。即答するだけあって2日間大活躍でした。父として誇らしかったです。
震災から7ヶ月経った今もまだまだ復興は進んでおりません。でも被災された方は家の片付けなど懸命に取り組んでいらっしゃいます。私たちもそのことを忘れることなく支援を継続していかなければいけないと感じました。そしてボランティアを受けていただいている輪島市、能登町のボランティアセンターのスタッフの皆様、サポートありがとうございます。活動時のお水やお茶などいろいろと気を遣っていただきありがとうございました。大変助かりました。
これからも自分のできることを、できるときに精一杯やっていきたいと思っております。
株式会社ケイツーリスト 阿部浩介